日本の音楽シーンで、フォークソングが人気を博していた頃、よく「反戦歌」という言葉を耳にしたものでした。
ある意味、音楽の世界からそういった声をあげるのも、私としては決して悪いことだとは思っていません。
ただ、「反戦歌」という語呂には、ちょっぴり安直な響きがあるように感じたことも事実です。
おそらく、彼等の多くが影響を受けたアーティスト。
それは、ボブ・ディランであったことでしょう。
ただし、ボブ・ディランの楽曲あるいは歌唱、演奏は、日本のフォークソングとは、明らかに一線を画していた。
私がボブ・ディランの世界に出会ったのは、実に不思議な・・・と申しますか、あまりにも偶然且つおかしな状況においてでした。
幼い頃、祖母の家に泊まりに行ったものの、なかなか寝つけない。
そこで、テレビのスイッチを入れると、大観衆を陶酔させている一人の男の姿があった。
それが、ボブ・ディランでした。
結局、最後まで観てしまったのですが・・・。
なので、私がボブ・ディランのことを思うとき、いつも祖母の面影が浮かんできます。
当時、ボブ・ディランは、群衆から神のように崇拝されていたようでもあり、とにかく熱狂的な支持者を持っていました。
そんなとき、幼い私には、よく理解できない出来事が起こります。
ボブ・ディランの支持者達が、「裏切り者!」呼ばわりをはじめたのです。
当時の記憶が正しければ、それはボブ・ディランがアコースティックギターをエレキに持ち替え、バンドを従えてのスタイルを取り入れたからだったと思います。
ボブ・ディランが登場して、有名になってきた頃のアメリカでは、社会への強い問題意識をフォークソングとしてぶつける風潮があり、そのカリスマがボブ・ディランだった。
そういった存在は当時「プロテスト・シンガー」などと呼ばれていたと記憶しています。
「エレキをもつなど、何事だ!」という支持者達の心理だったのでしょう。
さて、ボブ・ディランがエレキに持ち替えたことには、ビートルズの影響があったと言われています。
ただ、ビートルズよりも、ボブ・ディランのほうが当時は影響力のある存在でしたから、むしろビートルズがボブ・ディランから受けた影響のほうが大きかったし、先だったと言っていいと思います。
特にジョン・レノンは、曲づくりにボブ・ディランの影響をかなり受け始める時期がありました。
逸話。
ビートルズがアメリカへと進出した際、ジョン・レノンはボブ・ディランと体面することになります。
そのときに言われたとされている言葉とは・・・・「君達の音楽には主張がない」。
以降、ジョンの曲づくりにおけるスタンスは、かなり変化を遂げていきます。
それにしても、ジョンに向かって「君達の音楽には主張がない」なんて言える人物が、この世に存在したとは!
ある意味、痛快にも思います。
やっぱり、プロテストでありカリスマであり、ロッカーなのですね。
面白い。
実に、実に面白き逸話だと、嬉しくなります。