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ビートルズと物語

ビートルズをスターダムへと押し上げた男 ブライアン・エプスタイン

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Brian Samuel Epstein
主にキャバーンクラブでライブ活動をしていたビートルズ。
どの世界でもそうですが、いくら才能があっても、何らかのきっかけと、ちょっとした運がなければ、スターダムにのし上がることはできません。

ビートルズが、レコード業界で大成功を収め、世界的なバンドとして有名になっていくには、ブライアン・エプスタインの存在が必要だった。

ブライアン・エプスタインは、「ビートルズのマネージャー」という言われ方をよくされますが、まずはじめに、この「マネージャー」という言葉に対する、日本人と海外の人々との捉え方に大きな違いがあると思うので、そこから、若干触れてみたいと思います。

マネージャーと聞けば、おそらく日本の場合は、「細々としたことをお世話する人」的なイメージを持つと思います。
しかし、英語で「maneger」と言う場合には、スポーツであれば監督だし、いわゆる管理者といった意味を持っていると考えていいでしょう。

ブライアン・エプスタインは、全力でビートルズをマネージメントすることに傾注した。

決して行儀も服装も良くはなかった彼等4人を、ブライアン・エプスタインは、抜本的に改造していきます。
たとえば、スーツを着ること。
しっかりお辞儀をすること。
さらに、メディアへの受け答えの仕方もそうでした。

実際、初期のビートルズは、ブライアン・エプスタインの言いつけを守り、メディアからも非常に評判がよかった。

それは結局虚像だろう・・・というご意見もあるでしょうが、当時、ビートルズという名も知られていないリバプールの4人組がスターダムへと駆け上がるためには、ブライアン・エプスタインの苦労なくしては、実現しなかったのは、事実だと思います。

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また、ブライアン・エプスタインは、仕事を終えた4人が、たとえばニューヨークの夜、ちょっと遊びにと招待されたときにも、常に彼等の行動を見守っていたといいます。
何かあってからでは手遅れだ。
イメージに傷をつけてはいけない。
・・・という、ブライアン・エプスタインのプロ魂だったのでしょう。

時は流れ、ビートルズは、ライブ活動をしなくなり、メンバー同士、特にジョンとポールの対立が芽生えはじめます。

そんな折り、1967年8月27日に、ブライアン・エプスタインは死去。

ドラッグの影響で、創作活動に苦しんでいたジョンにとって、ブライアン・エプスタインの死は、大きな衝撃であり、その後ふさぎ込むことが多くなったとも言われています。

まさに、ブライアン・エプスタインあってこそのビートルズ。
それくらい、彼がビートルズに与えた、いやビートルズを導いた業績は偉大だったと、今、しみじみ思うのです。

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