サムシングといえば、ジョージ・ハリスンの代表作と言っていいでしょう。
あるいは、ビートルズの中においても、最高に美しいラブ・バラードの一曲と呼べるかもしれません。
このサムシング。
歌い出しからC系のコードの変化が続きます。
それがまた、実に奥深い味わいを演出しています。
メロディーラインと共に、コード進行の妙、美を感じさせる名曲だと思います。
ギタリストとしてのジョージ・ハリスンを語るとき、曲に合わせたバッキンやスライド・ギターのイメージがあり、ソロ・ギタリスト・・・という印象は、あまり浮かんできません。
ジョージ・ハリスン自身、エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスが、音楽シーンで脚光を浴びる中、自分は延々とギターソロを繰り出すタイプではない・・・と、悟ったという節もあります。
それでも私は、このサムシングという曲におけるジョージ・ハリスンのリード・ギター(間奏部)に、実に興味津々で、素晴らしい味わいをもったソロプレイだと思っています。
凄腕なわけではない・・・。
しかし、サムシングのリードギターの独特の節回しと、チョーキング・ニュアンスは、なかなか出せるものではない!と、私は常々思っているのです。
サムシングといえば、まだ私が中学生だった頃、ラジオを聞いていると、ジョージ・ハリスンのインタビューが流れてきました。
質問者は、サムシングのことに触れ、朧気に覚えているのは、こんな質問をしていたことです。
「サムシングは、誰のために作ったの?」
あのとき、ジョージ・ハリスンは、とてもはにかんだ声色で、「May be Pattie」とこたえていました。
パティー・ボイド。
この人がいたために、どれだけの名曲が生まれてきたことでしょう。
パティのことに関しては、おそらく、今後触れていくことになると思います。
ある意味、パティがいなかったら、ロック史に存在しなかった名作もあった・・・。
何とも、不思議かつ魅惑的なひとでした。