長い音楽キャリアを誇るエリック・クラプトン。
この人を形容した言葉は、いくつとなくありますが、ここでご紹介をすると、何やらチンケになってしまうような気がします。
本人も、ギターの神様とか、言われることは好まないでしょうし。
とにかく、ロック史に偉大な足跡を残したアーティストですね。
今日、3月30日は、そんなエリック・クラプトンの誕生日。
心からおめでとう!と言いたいと思います。
ハッピー・バースデー!
エリック・クラプトンは、1945年生まれですので、76歳になりました。
自らのバンドを率いて、来日すること多数。
私も、数え切れないほど公演を見に行きました。
また、バンドマンとしてのキャリアも豊富で、ヤードバーズをはじめ、ブルース・ブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、デレク・アンド・ザ・ドミノスなど、その足跡はロックの歴史と表現してもよさそうです。
ジョン・レノンのプラスティック・オノバンドと行動を共にした時期もありましたし、まさにレジェンドですね。
エリック・クラプトンは、斬新なギター奏法を生み出したことでも知られ、たとえばウーマン・トーンやフィードバック奏法もそう。
あるいは、当時はジャズに用いられていたレスポールをロックに導入したことも、エリック・クラプトンが先駆者です。
たとえば、チョーキング・ビブラートなどは、今なら当たり前にアマチュアのギタリストでも使っていますが、エリック・クラプトンが始めたときは衝撃を呼んだ。
エリック・クラプトンといえば、ギターですが、キャリアを重ねるにつれ、ボーカルにも味わいが増しましたね。
クリームやブラインド・フェイスに在籍していた時代は、歌うことを好んでいなかったそうです。
これは、音楽誌のインタビューで、当時読んだ記憶があります。
「自分よりも良いボーカルがいるから」と、エリック・クラプトンは言っていましたが、クリームにはジャック・ブルースがおり、ブラインド・フェイスには、スティーブ・ウィンウッドがいた。
ただ、エリック・クラプトンに、「君が歌わないのは勿体ない」と助言をした人物が存在したようです。
今では、エリック・クラプトンは、ボーカリストでも一流だと言っていいと思います。
私が、初めてエリック・クラプトンのツアーを観にいったときは、学生服姿でした。
当時、エリック・クラプトンは、とにかくクリームのナンバーを演奏することを嫌がっていた。
歳月が流れ、クリームもタブーではなくなってゆく。
その年輪がいとしいです。
私は、エリック・クラプトンの2度目の来日ツアーから皆勤賞でステージを観にいっています。
ジョージ・ハリスンのバックを努めたときも含めて。
すべて、ツアーパンフレットも持っており、それは宝物なのですが、悔しいのは初回の来日パンフがない・・・。
仕方ありません。
最初の来日時の際には、ライブへ行くには、私は幼すぎた。
思えば、自分の音楽人生・・・というよりバンド、演奏人生には、常にエリック・クラプトンの影があったように実感します。
まさに演奏面での師匠。
いつまでも、いつまでもお元気で。
エリックの幸せを祈ります。