私の中にある大切なバンドは多くありますが、デレク・アンド・ザ・ドミノスは、ある種特別な存在だと思い続けてきました。
自分が音楽活動をしてきた歳月を顧みても、デレク・アンド・ザ・ドミノスから受けた影響は計り知れません。
今回は、そんな彼等のことについて、ちょっと触れてみたいと思います。
あの伝説のスーパーバンド、クリーム解散後、エリック・クラプトンは新しい境地を開拓するかのように、多くのミュージシャン達との接点を探っていきます。
エリック・クラプトンといえば、もちろんイギリス出身ですが、1970年前後は、特にアメリカのミュージシャンとの共演へとシフトしていきます。
その流れで、1970年に結成されたのが、デレク・アンド・ザ・ドミノス。
偉大なバンドだと、私は思っていますが、ライブ盤を除けば、彼等が残したオリジナル・アルバムは1枚に過ぎません。
しかし、この1枚が強烈だった。
まさに、ロック史に残る不朽の名盤誕生です。
Layla and Other Assorted Love Songs(邦題:いとしのレイラ)
私は、このアルバムを中学生時代から聴きまくり、あまりに何度もプレイヤーに載せたものですから、LP盤を2セット購入(2枚組)、後年DCでも入手したほどです。
このデレク・アンド・ザ・ドミノスのメンバーをご紹介すると、次のような顔ぶれとなっております。
■エリック・クラプトン:ギター&ボーカル
■ボビー・ウィットロック:キーボード&ボーカル
■カール・レイドル:ベース
■ジム・ゴードン:ドラム
また、忘れてはいけないのは、前述したアルバムには、全編にわたり、あのデュアン・オールマンがゲストとして参加していること。
エリック・クラプトンとデュアン・オールマン、夢の饗宴でした。
文句なしに、偉大であり素晴らしいバンドであったわけですが、崩壊とも言っていい形で、解散へと至ります。
よく言われるのは、エリック・クラプトンとジム・ゴードンの不仲説です。
音楽性の違いとか、そういうことではなく、人間性の部分において、エリック・クラプトンは、どうしてもジム・ゴードンと合わなかったようです。
ジム・ゴードンは、気性の激しい人で、後年自分の母親を殺害するという行動までしていますので、エリック・クラプトンとは、まったく合わなかったことも、想像に難くありません。
しかし、音楽だけを取れば、彼等が残したものは珠玉の作品だった。
今をときめくギタリスト、あのデレク・トラックスも、少年時代からデレク・アンド・ザ・ドミノスに憧れ、その名前を冠したとされています。
エリック・クラプトンにとっては、人間関係で悩んだことは事実だと思いますが、このバンドにおけるプレイぶりは、出色していたと、私は思います。
このバンドが解散となり、やがてデュアン・オールマンの急死という出来事が起こるにつれ、エリック・クラプトンは心身を病んでいきます。
そのへんの話は、また後日、稿を改めて。