頼むから夢であってほしい。
嘘だと言ってくれ。
そんな体験をされた方々もいらっしゃると思います。
私も多感な時期に、そんなニュースに接しました。
39年前の今日、1980年12月8日。
ジョン・レノンが凶弾に倒れる。
あの日、あの時、今これを書いているのとちょうど同じ時間帯、私はずっとラジオを抱えていました。
当時は、インターネットなど普及しておらず、音楽関連のものや海外のニュースを知るには、ラジオが最も身近なものだったからです。
「ジョンが死んだ!」
私は、その時、代々木の街を歩いていました。
歩道で耳にしたその声。
誰だい?ジョークを言っているのは?
悲しいことに、それは事実だった。
現実だったのです。
不思議なもので、そのとき私の中には、「悲しい」という感情は浮かびませんでした。
それとは違う何かだった。
ただ、こう思ったことは、よく憶えています。
「早く家に帰ろう。とにかくラジオを聞こう」と。
ほとんどのラジオ局が、予定していた番組を急きょ変更し、ジョン追悼の特番を組んでいたことも、はっきりと記憶しています。
涙声のDJもいた。
誰もが悲しんでいる。
世界中が涙を流している。
私は、それを受け入れる術を知りませんでした。
なぜ?
どうして?
そればかりです。
毎年、この季節になると、街にはクリスマスソングが流れます。
ただ、どうにも私にとっての12月は、ジョン・レノンのようです。
ジョン。
その言葉に込められたメッセージ。
時には皮肉さえも込めた言い回し。
すべてがジョン。
そのジョンが、時折見せる等身大の弱さ。
何もかもが良い思い出です。
ただひとつ、12月8日という日を除けば。
それでも、ジョンが旅立った以降に生まれた人々が、私と同じように、いや私以上にジョンを愛してくれている。
だからこそのジョン・レノンであり、ビートルズですね。
安らかに眠れ。
R.I.P