1945年3月30日。
エリック・クラプトンの誕生日です。
ギターの神様とも呼ばれた男の人生は、決して平坦なものではありませんでした。
今回は、そんなエリック・クラプトンのことについて、ちょっとだけ触れてみたいと思います。
エリック・クラプトンは、ビートルズの各メンバーとの交流も深く、ジョージ・ハリスンとは生涯の親友であったことは、有名な話です。
また、一時期のことですが、ジョン・レノンのプラスティック・オノ・バンドでギターを担当した経験もあり。
もちろん、ポールやリンゴとも数多くの共演をしています。
ビートルズとの関係でいえば、やはりホワイトアルバムにおいて、ジョージの名作「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」で、ギターとして参加したことが、最も画期的な出来事だと言えるかもしれません。
エリック・クラプトンは、ロック史に燦然と輝く功績を残していますが、その人生において、何度となくどん底も見てきています。
再起不能ではないか・・・と、囁かれた時期もありました。
しかし、蘇ったエリック・クラプトンは、時代ごとにスタイルを変化させながら、常にミュージック・シーンの中心にあったのも事実。
アルコール依存症で苦しむ人達のために、クロスロードセンターを設立したのも、実体験に基づいた思いだったと、私は思っています。
さて、ギタリストとしてのエリック・クラプトンですが、後年に与えた影響は多大なものがありますね。
時代、時代のスタイル、常識がある中、エリック・クラプトンは、ギターの奏法、表現技法において、次々に斬新なスタイルを打ち出していきます。
たとえば、今であれば当たり前のことですが、ギターをチョーキングしながらビブラートをかける。
これは、エリック・クラプトンがやったスタイルが、ひろまっていったもの。
さらに、トーンの高音部をカットし、低音で甘く歪ませるウーマントーン、アンプとギターでハウリングを起こさせるフィードバック奏法もそうですね。
また、当時レスポールは、ジャズ用のギターという位置づけでしたが、このレスポールをロックに持ち込んで世間を驚かせたのもエリック・クラプトンでした。
人生の岐路、挫折、失意・・・。
多くの困難を何度も乗り越えて、エリック・クラプトンは、ライブ活動も続けてきました。
いわば、ロック史の証人と言ってもよさそうです。