私自身、そのロック遍歴を思い起こすとき、どうしても避けて通れない存在が何人かいます。
今回ご紹介するシド・バレットもその一人。
シド・バレットは、1946年1月6日生まれで、ビートルズとほぼ同世代ですね。
私なりに思っているのは、ジョン・レノンに天才があったとすれば、シド・バレットには、また別の意味で強烈な天才があったということ。
シド・バレットと申しますと、まず思い出されるのは、ピンク・フロイドでの活動です。
シド・バレットがピンク・フロイドの中心メンバーとして活躍をはじめるのは、1967年のことになります。
ボーカルも独特ですが、その詩の世界は、あまりにも謎めいていて、嘆美と表現すべきか?狂気とすべきか・・・。
また、シド・バレットは、ギタリストとして語られることが少ないわけですが、あれだけのリズム・ギターを刻める人物は、なかなかいないかと思います。
いわゆる常人には、真似ができない芸当というやつですね。
さて、ビートルズの近くにいた人々のインタビューをいろいろ聞いていると、どうもジョン・レノンは、ピンク・フロイドあるいはシド・バレットのサウンドにも影響を受けていたようです。
それが、後年のビートルズが歩む方向性にも反映されていた・・・と言ったら、行き過ぎでしょうか?
ただ、少なくとも、当時におけるシド・バレットの存在感は圧倒的で、他の追随を許しませんでした。
ゆえに、シド・バレットに影響を受けたアーティスト達は、多数にのぼります。
有名なところでは、かのデヴィッド・ボウイもその一人で、自ら「シドから影響を受けた」と公言してはばかりません。
自ら、シド・バレット時代におけるピンク・フロイドのカバーにもチャレンジしているほど。
このデヴィッド・ボウイのテイクは、シド・バレットへの果てしないリスペクトを感じさせます。
天才は天才を知る!とういことでしょうか。
シド・バレット。
天才であるがゆえに、その人生、その終焉は悲劇色が濃いものになりました。
長くシド・バレットと親交を保っていたピンク・フロイドのギタリスト、デビッド・ギルモア(シド・バレットの後任という形)は、ジャーナリストからシド・バレットの消息を度々聞かれる度に、おそらくうんざりもし、そっとしておいてほしいという気持ちもあったのでしょう。
こんな言葉を残していたことが、私の記憶に強烈に残っています。
「もう、その話はやめにしよう。悲し過ぎる」
シド・バレット。
天才であるがゆえに、自らの肉体と精神を生け贄にしたかのような人生でした。